ウィーンのリンク道路沿いにある公園のひとつに国会議事堂の前にあるバラが多く咲いているVolksgarten (フォルクスガルテン)・・・国民庭園があります。
そこには以前ここでも紹介したテセウス神殿というミニギリシャ神殿がありますが、リンク道路からもっと奥に行ったあまり目立たない所にエリザベートの像があります。
世界中にファンがいるエリザベートはバイエルンのヴィテルスバッハ家出身で、1837年12月24日生まれです。自然の中で自由に子供らしい幼少時代を送り、ある意味では普通に育てられたエリザベートの運命が変わることになるのは、いとこに当たるフランツ・ヨーゼフ1世に一目惚れされ、結婚が決まってからでした。
元々エリザベートのお姉さんのヘレーネとフランツ・ヨーゼフ1世を結婚させることが決められていましたが、それに反して妹に一目惚れをしたわけで、16歳のエリザベート(シシィ)がウィーンに嫁ぐこととなったのです。
ウィーンの宮廷文化は全く肌に合わず、1人でいることも多く、精神的なバランスも崩れ、宮廷を逃げ出すかのように色々な所を旅します。
2人の間からは、彼女が30歳までに4人の子供が生まれますが、3番目に生まれた長男ルドルフ皇太子は
ウィーンの森マイヤーリンクでピストル心中自殺をします。(悲劇のマイヤーリンク 参照)
エリザベートの最後は、1898年9月10日 スイスのジュネーブでルイジ・ルッケーニによって心臓を刺されて帰らぬ人となるという、悲劇的なものでした。
エリザベートが亡くなった4年後には、この像を作るコンテストが行われています。
興味深いことにこのコンテストは宮廷からの依頼ではなく、一般からでした。
全部で67の応募がありましたが勝者が選ばれなかったことにより、応募した芸術家達から抗議が殺到。
そこで再び1904年にコンテストが行われ、Friedrich Ohmannの案が選ばれました。
この高さ2.5mの大理石のエリザベート像は彫刻家Hans Bitterlichによって1907年に作られ、フランツ・ヨーゼフ1世がそれが置かれる場所を定めています。
以前ウィーンの西駅にあるエリザベート像について書いていますが、こちらのVolksgartenにあるエリザベート像の方が遥かに知られています。