オーストリア共和国の祝日(2014年)

今日10月26日は"Nationalfeiertag"というこのオーストリアにとっての重要な祝日です。

 

ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝が崩壊した1918年11月11日の翌日からチェコやハンガリーもオーストリアから離れていき、現在の基本となる民主主義の共和国としてスタートしました。

 

オーストリアは一挙に小国に転落したので、この国だけでやっていけるか不安だったためワイマール共和国との協調性がベースとなり、最初はドイツ=オーストリア共和国となりました。

 

そして1919年10月21日からはオーストリア共和国という現在の呼び名になります。

その後赤いウィーン時代、世界恐慌、オーストリアファシズムなどを経験し、ヒトラーのナチス党の勢力に負け、オーストリアはヒトラーの最初の犠牲国となり、ドイツに併合され、地図上からオーストリアが消され、第二次世界大戦で負けることになります。

 

その時にアメリカ、イギリス、フランス、かつてのソ連の連合軍の支配を受けることとなり、連合軍の中でもソ連軍が一番最初に東からオーストリアに到着し、残り3国が後から入ってきたわけです。

 

オーストリアはそれぞれの占領軍に分割統治され、ウィーンもそれぞれの区が分割で統治されました。

 

ウィーン旧市街はベルリン同様4カ国の共同統治となりました。

そこでソ連の権力が強く、このオーストリアもかつての東ヨーロッパと言われたソ連の共産主義の世界に引きづり込まれる可能性が大でした。

 

しかしオーストリアはカール・レンナーを中心とした当時の政治家達が素晴らしい政治手腕を発揮し、内閣から共産党をなるべく排除し、西側民主主義体制の基盤を作ります。ソ連との戦後の交渉問題などを含め占領時代が長引き、10年の月日が流れていきましたが、ついにオーストリアは共産圏に入ることはなく、民主主義の共和国として4カ国との国家条約が結ばれることとなります。

 

 


 

その4カ国との国家条約が結ばれた場所がベルヴェデーレ宮殿の2階にある赤大理石の間

でした。

そこで上の写真に見られるように、ベルヴェデーレ宮殿の上宮にはいつも赤・白・赤のオーストリアの国旗が掲げられているわけです。
この国家条約が結ばれた日は、1955年5月15日でした。
この時点でオーストリアはまだ憲法的に永世中立国ではありませんでした。
そこでこの"オーストリアが永世中立国である"ということが憲法で決められた日がその後、5ケ月以上も経ってからの1955年10月26日でした。
その日がつまり今日の日付けというわけです。
ということで、10月26日はこのオーストリアにとってとても重要な日です。
 
 
 
※去年2013年の"10月26日 オーストリア共和国の祝日"はこちら
 
 

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