ウィーンは歴史ある古都です。
ウィーンのリンク道路の内側の最も古い部分はローマ時代から存在しています。
ローマ時代のウィーン旧市街地を参考にして下さい。
そして12世紀終わりのバーベンベルク王朝時代に現在のウィーン旧市街地の基本の大きさが形成され、飛躍的に発展しました。
19世紀後半に中世からの城壁が取り壊されて、リンク道路が生まれます。
今日はそのリンク道路ができる前の、つまり城壁が取り壊される前のウィーンの姿についてです。
参考までに今年2月25日付で 15世紀のウィーンの街並みも御覧下さい。
上の写真は19世紀後半、1852~1854年のウィーンの街の姿です。
これはウィーンの歴史博物館に見られる、当時のウィーンを高さまでも忠実に再現したジオラマです。
このジオラマは1888年以前に作られたようです。
城壁の取り壊しが行われるのが1858年からですので、このウィーンの姿はその直前ということになります。
城壁には当時全部で11個の城門が組み込まれていました。
この写真左側のちょっと広い空間は現在の王宮の英雄広場です。
この頃にはまだ新王宮はありません。
Burgtorがしっかり見えています。
こちらはKärntnertor (ケルントナートーア)で、正面にシュテファン大聖堂が
見られます。Tor は門です。
ケルントナートーア付近は現在のホテルザッハーがあります。
左の出っ張った部分は、Kärntnerbastei (ケルントナーバスタイ)で、バスタイはBastion・・・堡塁です。
堡塁は敵からの攻撃を防ぐための貼り出した部分です。
城壁が取り壊されてリンク道路ができる前のウィーンの中心部の街並みは、
今とそんなに大きく変わってはいません。
城壁がどのように現在のウィーン中心部を囲んでいたかがよくわかります。