マリー・ヴェッツェラの墓

去年の10月に「悲劇のマイヤーリンク」というタイトルで、ハプスブルク家のルドルフ皇太子とマリー ヴェッツェラ男爵令嬢のピストル心中自殺について書きました。

その場所マイヤーリンクはウィーンからも頻繁に行くウィーンの森の一角にあります。
その際にマリーのお墓についての質問がよくありますが、通常ウィーンの森の観光でマリーのお墓に行くことは残念ながらまずありません。
今日はそのマリーのお墓についてです。

こちらがマリーのお墓です。

1889年1月30日マリーはマイヤーリンクにあるルドルフ皇太子の狩猟の館で17歳で亡くなりました。
次の日、31日夜遅く、マリーは毛皮のコートを着せられ、帽子をかぶせられ、そこから数キロ離れた有名なハイリゲンクロイツ修道院があるハイリゲンクロイツの墓地に運ばれ、日が変わってすぐの2月1日、嵐のような雨が降る中、
急いで木の柩に入れられたマリーは土の中に埋葬されました。
 
その3ヶ月半後の5月16日、新しく作られた銅の豪華な柩に、木の柩ごと入れられ、マリーのお母さんが新たに作らせたGruft (しっかりと作られた墓石が置かれている地下空間)に再び埋葬されました。
 
その後、1945年の第二次世界大戦中、墓が荒らされ、マリーの頭蓋骨が荒らされた柩の横で発見されています。
 
1959年7月7日、錫製の柩に新しく入れられ、再び埋葬されました。
 
その後1991年の夏の夜、なんとマリーの柩がマリーごと盗まれてしまいます。
犯人はリンツの家具業者Helmut Flatzelsteinerとその仲間2人とされ、遺骨、髪、衣類を調べる目的だったようです。
次の年の12月22日にお墓の中を調べたら空っぽだったということです。
 
1993年10月28日の朝、新しい金属製の柩に入れられたマリーは再び埋葬されました。
 
マリーは気の毒なことに亡くなってから3回も地上に出ることになったわけです。
 
 

 
こちら左の写真はマリーのお墓の拡大です。
 
右の写真はこの墓地に建てられている礼拝堂です。
これはマリーのお母さんヘレーネ ヴェッツェラによって建てられました。
 
 

こちらは左の写真はその礼拝堂に見られる小さなステンドグラスです。

このステンドグラスの左下と右下にはが2人の天使が表されています。
これはマリー ヴェッツェラとそのお兄さんのラディスラウスです。
 
このマリーのお墓がある場所は、ハイリゲンクロイツ修道院から約1km程離れた大型バスが入れない坂の上にあります。
 
マリーのお墓の前にたたずむと、考えさせられるものがあります。