ブラームスの像

音楽に全く興味がない方が、音楽の都としてのウィーンで作曲家を挙げるとすると、

モーツァルトとベートーヴェンが圧倒的に多いでしょうか。

ベートーヴェンはオーストリアの3大クラシックの作曲家には入りませんが、ウィーンではモーツァルト以上に足跡を残しました。


それ以外でも、ヨハン・シュトラウスヨハン・シュトラウス(父)ショパン

シューマン、リスト、バルトーク、ブルックナー、マーラー、ドヴォルザーク、

ワーグナー、ヴィヴァルディリヒャルト・シュトラウス、シベリウス、グルック・・・

とウィーンに足跡を残した音楽家を挙げたら切りがありません。

 

音楽が好きな方は別として、一般に知られている作曲家でもウィーンで意外と見落とされているブラームスについて少し書いてみたいと思います。

 

 

 

ヨハネス・ブラームスは1833年5月7日にドイツのハンブルクで生まれています。バッハ、ベートーヴェンと並んでいわゆる"3B"のひとりです。

 

ホルン、コントラバスを弾くブラームスの父がおそらく最初にブラームスに音楽教育を施し、ブラームスは小さいころからピアノの才能を示し、また作曲の素質も早くから現れ、10歳でダンスホールやレストランでのピアニストとして家計を支えていたようです。

1853年にはリストやシューマンに自分の作品を見てもらっています。

このシューマンはブラームスを賞賛し、彼の作品を知らせるのに大きな貢献をしています。

 

ちなみにブラームスは、シューマンの妻クララとも知り合いになり、シューマンが1856年に亡くなった以降も親しい関係を築きます。

 

ウィーンには1862年、Wiener Singakademieの合唱指導で、ブラームスが29歳の時に初めてやって来ます。。

ドイツ レクイエムやハンガリー舞曲で高い評価を得ます。

 

1872年からウィーンに最後まで定住することになり、翌年から2年間ウィーン楽友協会の専属合唱団の責任者として仕事をします。

最後は1897年4月3日に肝臓がんで、カールス教会のすぐ横の、彼が1872年から住んでいた住居で63歳で亡くなりました。

 

ブラームスが亡くなった後、ウィーン市からの助成金によって、彫刻家Rudolf Weyerによってこの記念像が作られました。

 

座っているブラームスを表現した大理石で作られた像の下には、ミューズのひとりがリラを持っています。

このブラームス像は1908年5月7日に序幕されています。

 

このブラームスの記念像は彼が亡くなった場所のすぐ近くの、カールス教会がよく見えるResselparkにあり、道路を挟んだその目の前には有名な楽友協会ホールが建っています。

1870年に建築された楽友協会ホールの小ホールは、1937年からBrahmssaal(ブラームスザール)と言う名がついています。

 

 

 

 

 

 

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