宝物館 (Schatzkammer)

ウィーンの王宮は非常に複雑で様々な建築様式から成り立ち、一度も完成しませんでした。

様々な博物館や現在でも政治的にも使われていますが、今日はその一角にあるSchatzkammer (宝物館)について少し書きたいと思います。

 

 

ウィーンの宝物館は、王宮の一番古い部分であるスイス宮の中庭にあります。

ここに来ると一見入口がどこにあるかわかりませんが、ウィーン少年合唱団がミサで歌う王宮礼拝堂に入る階段がありますが、その下に入口があります。

入口のそばには宝物館に展示されている王冠が宣伝されています。

 

中に入って道なりに行くとチケット窓口が正面に見え、窓口の左は小さいスペースのショップになっています。

 

もっと奥へ行くとトイレやコインロッカーがありますが、宝物館の入口はトイレ方向を見て左側にあり、その入り口ホールには右左と階段があり、その階段下の中央に係りがいます。

 

右の階段から上がり、いよいよ宝物館へと入ります。

最初はかなり薄暗く感じます。

最初の空間には、カール6世の時代の宝物館の扉、次の空間は大変貴重なルドルフ2世の帝冠、宝珠、や王笏を始め、どんどん奥に進んでいくと皇帝のマント、 騎士団の正装、ナポレオン時代の宝物や世俗的宝飾品、また戴冠式の衣装やカール大帝の遺品、神聖ローマ帝国の帝冠や神聖ローマ帝国時代の貴重な物、聖なる槍、ブルゴーニュ公国のコーナー、さらに教会財宝ととにかくものすごい内容で、入口の狭さからは想像がつかない広さです。

 

 

ハプスブルグ家はかなり最初の時代から一族の財宝を集めて保管し、後代に伝えていくという動きはあったようです。

おそらく当初からキリスト教会の貴重な聖なる宝物や聖遺物などが存在したと思われ、また同時に世俗権力の象徴としての宝飾品や貴金属なども多くあり、また、金、銀、貨幣や古文書などもありました。当時は個人所有だったので、贈り物として使われたり、権力の象徴として公開されたりしました。

この財宝についての詳細な資料が残っているのはマリア・テレジアの祖父レオポルド1世からで、その後マリア・テレジア時代1750年に目録が作られます。

女帝の長男ヨーゼフ2世の時代は、教会財宝と世俗財宝が別々に管理されますが、19世紀後半にハプスブルグ家のコレクションが根本的に再編されます。

帝国解体時にサンジェルマン条約で、継承各国がその文化遺産に関する所有権を主張することになり、その後のヒトラーの時代から第2次世界大戦の大変な時代を生き延びて、1954年から公開されています。

 

ここにはとにかく貴重な物がいくつもあるわけですが、時間を見つけてまた紹介します。

 

 

 

 

 

 

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