マリア・クリスティーナの有名な墓石

ウィーンには歴史的に重要な教会がいくつもありますが、そんな教会の中にも言われあるものや重要なものがたくさんあります。

今日はここでもすでに登場したアウグスティーナ教会の中にあるマリア・クリスティーナの素晴らしい墓石について少し書きたいと思います。

マリア・クリスティーナは1742年5月13日ウィーンで生まれました。

お母さんがマリア・テレジアで、父フランツ・シュテファンとの6番目に生まれ、成人した子供では次女にあたります。
しかもマリア・テレジアの25歳の誕生日のその日に生まれています。
そのせいか、マリア・クリスティーナは母マリア・テレジアからはかなりひいき
されたようで、ごく稀にしか厳しくされなかったということです。
 
彼女の小さい頃はあまりわかっていませんが、とにかく賢く、様々な分野を好んで学び、
イタリア語やフランス語はパーフェクトだったといいます。
また早くから絵の才能があり、シェーンブルン宮殿を見学すると、彼女が描いた絵も見ることができます。
 
1760年1月の始め、ザクセンのアルベルト公が弟のクレメンスと共にウィーンに来て、
マリア・テレジアとフランツ・シュテファンから歓迎されています。
その時ハウスコンサートで、彼はかわいいマリア・クリスティーナに知り合います。
 
その後1766年4月に2人は結婚することになります。
 
マリア・クリスティーナは1798年、56歳で胃の病気で亡くなり、その悲しみから
アルベルト公が作らせたお墓、それが長くなりましたが今日のテーマとなる墓石です。
 
 

 

こちらがアウグスティーナ教会にあるマリア・クリスティーナのピラミッド型の墓石です。

これはAntonio Canova (アントニオ・カノーヴァー)が、1805年に製作したもので、平らなピラミッド型で、5mの高さの大理石です。

 

悲しみの参列を表現し、ピラミッドの入り口に松明を持った少女を先頭とし、そのすぐ後ろには、徳を意味している、壺を持った女性が続きます。

 

一番後ろの2人は、マリア・クリスティーナの慈善と徳を表す女性像と彼女は盲目の老人を連れています。

 

右側には力強さを表すライオンと夫婦のこまやかな愛情を表す精霊がいます。

 

入口上部にはラテン語で、Uxori Optimae Albertus 「最高の妻へ、アルベルトより」と書かれています。

 

一番上には精霊がマリア・クリスティーナというメダルを掲げています。

 

カノーヴァーはこの墓石を製作するにあたり、以前持っていたコンセプトを使いました。

すでに1790年、あるヴェネツィアの貴族がカノーヴァーにティツィアーノの名誉を表すフラーリ教会のための記念碑を依頼した時のコンセプトでしたが、依頼人が突然亡くなったので作られませんでした。

 

この素晴らしい墓石はアウグスティーナ教会に入り、右側に見られます。

 

 

 

 

 

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