ウィーンには7つの美術館がありますが、美術史博物館は本当に絵画史上重要な画家が
目白押しです。
またここは問題なく撮影もできるので、このブログコーナーの「絵画」のタイトルでは
今の所この美術史博物館がメインとなっています。
今日はこの美術館でも重要なブリューゲルです。
ブリューゲルの家系は画家が多く、一般的にピーテル・ブリューゲル(父)と書きますが、
長男のブリューゲルも次男のヤン・ブリューゲルも知られています。
ドイツ語では"Pieter Bruegel der Ältere"です。
このブリューゲル(父)の作品はこの美術史博物館の大変重要な位置を占めるもので、
一族では最も有名ですが、それにもかかわらす生い立ちがはっきりしていません。
1551年にアントワープの画家組合に登録されているのが最初の記録です。
そこから生まれた年が推測されています。
おそらく1525-30に生まれ、1569年に亡くなっているフランドル(現在ではベルギー)の画家で、アントワープ、ブリュッセルで活躍しました。
1551~1554年にイタリア旅行をし、ローマ滞在や南イタリアにも赴いた様で、
またアルプス地域もおそらく通っています。
1554年からアントワープに再び約8年住み、その後1563年からはマリア・クックと
結婚すると同時にブリュッセルに住みました。マリア・クックはブリューゲルが絵を習っていた先生の娘です。
こちらはお馴染みの「雪中の狩人」です。
1565年から1年かかって6連作を描いた
月歴画です。
そのうち5点は現存していて、ウィーンには
「暗い日」と
「牛群の帰り」の
2点があり、
これと合せて計3点があります。
一見日本画的な印象を与えることから親しみやすいのかもしれません。
「バベルの塔」はとても迫力があります。
巨大な塔が建設されていく・・・でも神からの
怒りによって言葉が混乱されて、建設が途中で
終わってしまうという
話ですが、ブリューゲルは初めからこの塔は完成することはないということを念頭に描いているようです。
内部のアーチ構造はローマのコロッセウムを念頭に描いているとされ、
イタリア滞在の影響が見られます。
「農民の婚宴」は、やはりこの美術史博物館にある「農民の踊り」とともに臨場感をもって描かれ、画面全面に人物が大きく描かれています。
伝統的な習慣を描いたものとされています。
私達がこの場所でこの婚宴を見ているようで、わいわい、がやがやといった声が聞こえて来そうです。
風刺画的な人物表現も特徴があります。
これは納屋での婚宴です。
ブリューゲルはおそらくオランダの画家「ヒエロニムス・ボッシュ」の影響を受けた画家のひとりで、当時多くの画家がボッシュの影響を受けましたが、
ボッシュの影響を受けながらも自らの個性を発揮できた唯一の画家かもしれません。
宗教画、伝統行事、農民、教訓、風景などと広範囲にわたって作品があります。
ちなみにブリューゲルの長男は父の模索を多くし、地獄の絵を描いたことから
「地獄のブリューゲル」、次男のヤン・ブリューゲルは、花や鮮やかな細かいタッチで
描いた絵が多いことから「花のブリューゲル」とか「ビロードのブリューゲル」とも呼ばれています。