この時期にはウィーンからの1日観光でよくヴァッハウ渓谷に行きます。
ヴァッハウ渓谷は私も大好きな場所で、世界遺産にも登録されていて、個人的にもよく出かけます。
通常の1日観光では、午前中にメルクの修道院を見学します。
このメルクの修道院に関してすでにこのコーナーでも何回か話題にしていますが重要なバロック建築です。
メルク修道院単独では世界遺産ではありませんが、ヴァッハウ渓谷のメルク~クレムスまでということで世界遺産に入っています。
メルク修道院はウィーン中心部から約90km西に離れた所にあり、ドナウ河沿いの断崖の上から、まるで街を見下ろすように建っています。
街の名前もメルク(Melk)で、またMelk川がドナウの本流に注がれます。
この修道院は重要なバロック建築でもあり、さらにこの場所は歴史的にもとても重要な位置にあります。
この辺りのドナウ河は古代ローマ帝国時代国境でもあり、ドナウ河沿いにはウィーンのように駐屯地が多く築かれました。
このMelkもローマ時代からの集落がありました。
このMelkは831年に"Medilica"という名で最初に登場しますが、ハプスブルグ家の前に栄えた中世のバーベンベルク王朝の最初の居城が置かれた場所でもあります。
カール大帝時代この辺りはOstmark(オストマルク...東部辺境地)と呼ばれ、9世紀末からマジャール民族(ハンガリー民族)の襲来に備える必要があったわけです。
そこでバイエルンの貴族バーベンベルク一族がオットー2世皇帝から選ばれて、辺境地を守る伯爵という意味で、辺境伯(Markgraf)という皇帝のすぐ下のポジションでこの辺りを守る砦の城主の役割りを担うわけです。
バーベンベルク王朝は最初のレオポルド1世から最後のフリードリヒ2世まで,976年~1246年までの270年続いた王朝で、この中世の時代にウィーンを始めオーストリアのかなりの部分が発展していきました。
その最初の君主辺境伯(Markgraf)のレオポルド1世の時代からすでに、亡くなった一族に祈りを捧げる宗教的コミュニティのようなものがありました。
2代目の君主のハインリヒ1世の時代には、ドナウ河に沿いながら東へとTullnにバーベンベルクの居城が移されていき、その後クロスターノイブルク、そして12世紀半ばにはウィーンに彼らの宮廷が移され、ウィーンは飛躍的な発展をすることになります。
しかし、宗教的コミュニティはこのMelkに留まっていたようです。
そこで5代目の君主レオポルド2世の時代にこの場所を修道院とし、ベネディクト派の修道院として1089年から現在に至っています。
修道院の見学は個人で見ることも可能ですし、修道院が提供するガイドツアーに入ることもできますが、ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語で、残念ながら日本語はありません。ここは説明があった方が遥かにおもしろいです。
現在の修道院は18世紀に改築された素晴らしいバロック様式です。
修道院の見学はこの写真に見られる中庭を通り抜け、その後すぐ左側に見られる皇帝階段を上がって始まります。ここで係りが入場券をチェックします。
たくさんのグループが待っていることがあると思いますが、個人で見学される場合は構わず追い越して行って構いません。
(ガイドツアーの場合は時間が決められています)
この中庭は広々とした空間が印象的で、意図的に台形に作られているため、かなり奥行きがあるように感じられます。
この中庭空間は縦84m×横42mです。