ウィーンは音楽の都と言われる通り、これだけのの作曲家が滞在した街は他にないでしょう。
その中でベートーヴェンの跡を辿ろうと思ったらものすごい時間がかかります。
ベートーヴェンはモーツァルト以上にこのウィーンには足跡を残しています。
ウィーンの街中だけでなく、ウィーンの森や郊外に頻繁に住居を構えました。
このコーナーでもベートーヴェンについては、 第九交響曲の家、 第九交響曲の家 2、
そのベートーヴェンの住居で、あまり知られていない場所があります。
ここはLandgut zu Jedlesee と呼ばれ、ブルゲンラントに拠点を
持つAnna Maria Erdödy伯爵夫人(1779~1837)が、
1809年~1818年まで所有していたサロン的な住居で、当時音楽ファンの貴族達が集まった社交的な場所でした。
1808年は、ハプスブルグ家のルドルフ大公(マリア・テレジアの孫のひとり)、ロブコヴィッツ公爵、キンスキー公爵が
ベートヴェンが他の街に行かないように、また作曲に取り組めるように年金を保障した年でもあります。
ここにベートーヴェンは、1815年、1816年と何回か滞在し、ベートーヴェン自らのオルガナイズで演奏会が開かれました。
Erdödy伯爵夫人とベートヴェンの友情関係から、彼女に対してのベートーヴェンからの献呈作品もありますが、2人の関係については謎が多いようです。
後、伯爵夫人は経済的事情からここを去ることになります。
ここは当初日本で言う2階建てでしたが、1863年の火災があってからは2階部分は損傷し、取り壊されました。
現在は1階建てで残されています。
この建物に見られる記念のプレートです。
左はベートーヴェンで、彼が 「ゲストとして繰り返しここに滞在し、没後100年記念にウィーン21区の区民によって贈られた」と記されています。
右側はベートーヴェンの庇護者であるAnna Maria ErdödyがこのかつてのLandgut zu Jedlersee を1809年~1818年まで所有していたことが記されています。
ここはちょっとしたサロンがあって、現在でも演奏会等が行われています。
この場所はウィーン21区 Jeneweingasse 17にあります。