ウィーンにはヨーロッパで2番目に長い「ドナウ河」が流れています。
昔はローマ時代の国境ラインでもあり、現在のオーストリアでも水路や発電としても大変重要です。
そのドナウ河をテーマにした「美しき青きドナウ」はたいていの方が知っている曲で、オーストリア第2の国歌のようなもので、新年の最初にテレビでも流され、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも定番の曲ですね。
そのヨハン・シュトラウスが41歳の時に作曲した「美しき青きドナウ」の背景について今日は触れてみたいと思います。
こちらは美しき青きドナウが初演された時の入場券です。
美しき青きドナウは、1843年から存続している歴史あるウィーン男性合唱団によって1867年2月15日謝肉祭コンサートの時に初演されました。
当時ウィーン男性合唱団は、謝肉祭の一貫で気違いじみたバカ騒ぎ的なコンサートを開催する
予定でしたが、オーストリアは前年ケーニヒグレーツの戦いでプロイセンに負けていて、バカ騒ぎ的な雰囲気ではなく、多くの舞踏会もキャンセルとなりました。
そこで正統な謝肉祭コンサートにしようということになり、いい関係を保っていたヨハン・シュトラウスにその時に曲を注文し、シュトラウスがかなり早く書き上げました。
今日よく演奏されるようにオーケストラだけでなく、合唱団用として作曲されたので、当時のタイトルも「コーラスとオーケストラのためのワルツ」として紹介されました。
こちらはその演奏会のプログラムです。
1867年2月15日、現在ウィーン2区のDianabad(ディアナバート)で夜20時から始まり、夜1時までの長いコンサートでした。途中休憩があって、その後2部の1曲目に総勢150人の男性合唱団が舞台でこの曲を披露しました。
シュトラウスはこの日、別の仕事に出演していたため不在でした。
この曲の初演にシュトラウス自身がいなかったというのもおもしろいです。
この曲は当初あまり評判がよくなかったと書かれていますが、
この曲は最初から成功し、次の日はもうピアノ譜を買うことができました。
こちらは美しき青きドナウのピアノ譜です。
上段のコーラス部分はテノール2部とバス1部が成り立っています。
この譜面はもう終わりに近い部分ですね。
「美しき青きドナウ」という曲のタイトルは、シュトラウス自身によるものなのか、あるいはこの初演の時の歌詞を手掛けたJosef Weylによるものかは不明です。
このピアノ譜が初演の翌日に売られた時には、もう「美しき青きドナウ」というタイトルが付けられていました。