この「知られざる美しい中庭風景」というタイトルで書き始めて、今日が第6弾と
なりますが、今までは全てウィーンの中庭をテーマにしましたが、今日はグラーツと
ザルツブルクの一角です。
前回第5弾は1月5日付でした。
こちらの美しい中庭はグラーツのJESUITENKOLLEGIUM
(イェズイーテンコレギウム・・・イエズス会)で、
ドーム教会のすぐ前、旧グラーツ大学のすぐ隣にあります。
イエズス会はハプスブルグ家のカール2世大公によってこの地に1572年に呼ばれました。
そして1773年に解散されるまでの200年間、反宗教改革で大活躍をします。
この建物はイエズス会がここに来てすぐの1572年から建てられました。
1300m²のこの中庭は美しいルネッサンス様式で、グラーツの旧市街地では一番大きな中庭です。
1階に大きめのアーチを用い、2階~5階に規則的な2つの窓が一組になっているアーチ構造を見ることができます。
イエズス会解散後、ここは刑務所、軍施設、学校等とに使われましたが、19世紀の終わりからPriesterseminar (神学校)、教会関係、シュタイヤーマルク報道クラブ等が入っています。
こちらも美しいルネッサンス様式の中庭です。
こちらはザルツブルクのBürgerspital
(ビュルガーシュピタール・・・ 旧市民病院)の中庭で、Admonter Hof(アドモンター・ホーフ)とも呼ばれています。
アドモントからの修道士が、この地に1185年に聖ブラジウスに捧げられた小さな礼拝堂を建てました。
この中庭の一番古い部分はその礼拝堂が作られた当時12世紀終わりです。
その後何回かに渡って拡張されました。
1560年にメンヒスベルクの岩肌をくり抜いて拡張され、1570年には、Pfründnerhaus (教会禄聖職者の家)と共にさらに拡張されました。
メンヒスベルクの岩肌がせり立っているのが見えますね。
旧市民病院は1898年に解散し、現在はザルツブルクのおもちゃ博物館等に利用されています。
オーストリアルネッサンス様式の中庭アーチではとても美しいもののひとつに数えられています。