前回の中央墓地シリーズ「ウィーンの中央墓地 3」は2013年10月28日に書き、
ヨハン・シュトラウス(父)に触れました。
今日は32A区にはない有名人としてCarl Czerny ・・・カール・チェルニー(日本ではツェルニーとしての方が有名でしょう)のお墓です。
ツェルニーは、1791年2月21日にウィーンのチェコ系音楽家の一家のもとに生まれました。
父からピアノの手ほどきを受け、早くから音楽の才能を見せ、3歳でピアノを弾き、7歳で作曲をしたといいます。
10歳の時には素晴らしいピアニストでありました。
最初の公開演奏会は1800年でした。
ベートーヴェンは才能あるツェルニーに感銘を受けて弟子にします。
さらにフンメル、サリエリからもレッスンを受けます。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」はツェルニーが初演の時にピアニストとして演奏しています。
ツェルニーは優れたピアニストでしたが、演奏活動を続けず、作曲家・理論家としての道を優先します。
これだけピアノを弾く人が増えてきた・・・しかし基本的な練習をするための作品がないことに気づいた彼は、様々な練習曲を書くことになります。
ピアノを習う人であれば、ほぼ誰でも必ずやお世話になるツェルニー練習曲シリーズはあまりにも有名です。
このツェルニーの弟子のひとりにリストがいます。
ツェルニーは生涯ほぼウィーンに留まり、独身で66歳で1857年7月15日にウィーンで亡くなりました。
ピアノ教育、理論という観点から見ると、ツェルニーが残した業績は偉大です。
彼の大部分の自筆譜はウィーン楽友協会に保存されています。