以前11月15日付で、ウィーンの街中に残る貴重な城壁について書きました。
それが19世紀後半の取り壊されてリンク道路が建設されるわけですが、その頃ウィーンの中心のもっと外側には「Linienwall」(リーニエンヴァル)と呼ばれたいわゆる2つ目の城壁がかなり外側を環状的に囲んでいました。
中心の貴重な城壁と同様、あまり知られていませんが、このLinienwallの名残も数か所で見ることができます。
こちらはそのLinienwallの名残です。
この場所はしかし建物の中庭に残されているため、プライベート空間なので、外からは残念ながらすぐ見られるわけではありません。
Linienwallは、皇帝レオポルド1世の下、1704年から建設されました。
ウィーンは大きく1529年、1683年と2回のオスマントルコに包囲され、
(ウィーンは落ちることはありませんでしたが)その脅威から更に中心の外側にも城壁を築こう・・・となったわけです。
こちらは、誰でも外から見られる別の場所にあるLinienwallの名残です。
Linienwallは、St.Marx(現在の3区)~Lichtental
(現在の9区)を環状的に結び、18歳~60歳の地元男性約2500人と150人の学生が建設しました。
高さ4m、幅4m、深さ3mの堀を備えたこのLinienwallは、全長約13.5km・・・
何とたった4ヶ月という驚異的な速さで建設されたと言われています。
19世紀半ば、そのLinienwallの外側に、国鉄の駅(現在のHauptbahnhofやWestbahnhof)が作られ、Linienwallの重要性が失われていき、このLinienwallは最終的に1894年に取り壊されることになります。
現在その外側には通称「Gürtel」(ギュルテル)と呼ばれる大きな環状道路が通っています。
旧市街に残る貴重な城壁もそうですが、街の歴史を知っていると、このような何の変哲もなさそうな物も、おもしろく見えてきますね。