ローマ時代のウィーン旧市街地

古代ローマ帝国が一番大きかった時は、紀元後1世紀終わりから2世紀初めのトラヤヌス帝の時代で、地中海沿岸を全て含んでいました。

 

この時北側のローマ帝国の国境ラインがこの辺りはドナウ河だったわけです。

 

そこでローマ帝国は異民族に備え、Legionslager(レギオンスラーガー)と呼ばれた駐屯地を築き、現在のオーストリアにはドナウ河沿いに当時の大きな駐屯地が3つあり、そのひとつがVindobona(ヴォンドボナ)と呼ばれたこのウィーンでした。

 

Vindobonaは1世紀~4世紀に存在し、周辺地域が破壊されても、駐屯地は5世紀まではあったようです。最大で約6000人の兵士(Militärsiedlung)と約3万人の人口(Zivilstadt)があったわけです。

 

 

 

こちらはウィーン歴史博物館で見られるVindobona時代のウィーン中心部です。

赤く正方形的な部分がLegionslagerで、シュテファン大聖堂がその外側にあることがわかります。
南側(青い部分との境)が現在のグラーベンで、そのグラーベンの終わりの所を、現在のコールマルクトを通ってミヒャエル広場まで道が伸びていることがわかります。

ミヒャエル広場には、北から現在のHerrengasseが交差し,そして現在のオペラ座へ向かって道が伸びています。

 

赤い部分の西側の一番端に縦長の広場が見えますが、これがAm Hofです。

 

青い部分は、Lagervorstadtで,canabae legionis と呼ばれ、商人、職人、楽しめるような施設やレストラン的なものを経営する人などが住んでいました。

劇場、温泉、祈りをする教会の様な場所などもあったはずです。

 

こちらはグラーベンの延長上にあるNaglergasseという小路です。

 

この通りは右にカーブしていて、それに合わせて建物も建っています。

 

このカーブこそ、上の地図で見られる、赤い部分の一番西側で、そのすぐ左には「Hohe Brücke」で紹介したOttakringer Bachという川が流れていました。

 

その川も地図上で確認できますね。

 

この川は現在Tiefer Grabenという通りになっています。

 

 

ウィーンの旧市街地はとても古い歴史を持っていますが、このローマ時代のことを

知っていると街がもっとおもしろく見えてきますね。

 

 

 

 

 

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