ウィーンはとても古い歴史ある街です。
でも実際は過去と現在がとても調和してる街だと思います。
ウィーンの旧市街で一番古い所は1~4世紀ローマ時代の駐屯地として栄えた部分があり、
当時はヴィンドボナ(Vindobona)と呼ばれていました。
そのずっと後の時代、ハプスブルグ家の前の中世のバーベンベルク王朝時代(976~1246)の12世紀終わりに、レオポルド5世によって城壁が築かれていきました。
その後オスマントルコの1回目のウィーン包囲の跡、1547年に更にBastion・・・Bastei(バスタイ)・・・堡塁が築かれていき、最終的に19世紀半ばの1858年からフランツ・ヨーゼフ1世皇帝の時代に取り壊しが行われ、リンク道路が建設されることになります。
現在ウィーンの中心部には、当時の城壁跡を思わせる箇所が8箇所あります。
Mölkerbasteiを2つ分けて数えて、Coburgbastei、Ruprechtskirche界隈、Stubentor,Dominikanerbastei,Augustinerbastei,Burgtorの計8箇所です。
ただ、Dominikanerbastei,Burgtorも数には入っていますが、厳密にはそこにあっただろう・・・ということを推測できる程度です。
こちらはStubentorです。
Tor は門で、当時街を囲んでいた城壁のラインには全部で11箇所の城門があり、そのひとつがここStubentorです。
ここには地下鉄3号線が通っていて、御覧のように
この城壁に沿って地下鉄出入り口があります。
地下鉄3号線の建設時に、当時の城壁の一部が見つかりました。
その上の部分に新しく少し付け足しをしてあります。
とても貴重なルネッサンス時代の城壁です。
こちらはそのStubentorの出入り口を入った所です。
当時の城壁の土台の部分が残されています。
当時の城壁を極力残しながら、この駅が作られたことがわかります。
こちらは有名なMölkerbasteiです。
ここは反対側にも城壁の名残を見ることができます。
ここは前のStubentorとは違い、地上部分にかなり残されています。
奥に見える建物はウィーン大学の本校舎です。
このMölkerbastei上にはベートーヴェンが住んだことで知られるパスクラティーハウスがあり、博物館として公開されています。
ウィーンの街の歴史を少しでも知って歩くと、何の変哲もないただの煉瓦の壁でも、とても意味あるものに見えてきますね。