このコーナーでは、すでにシュテファン大聖堂、カールス教会、ルペルト教会、
イエズス会教会 などについてすでに書いていますが、ウィーンの街には至る所に教会が
あり、時代も違えば様式も違い、それぞれ個性があります。
リンク内だけでも数えきれないほどたくさんの教会があるわけですが、
その中で「アンナ教会」について少し書いてみたいと思います。
ケルントナー通りを国立オペラ座からシュテファン大聖堂に向かって行くと、途中右手にAnnagasseという
バロックの綺麗な建物が建ち並ぶ中々雰囲気のいい通りがあります。
そこを歩いて行くと、左手に一見教会があるとは思えないように周囲の建物に溶け込みながら建っている
アンナ教会があります。
よく見るとこの写真のように、
オーストリア典型的なセイヨウ玉ねぎやセイヨウカボチャとも言われる、
バロック様式の教会の塔があります。
この界隈は、1415年から
エリザベート ヴァルテナウアーという女性市民が、建物も含めて所有していました。
彼女はその3年後に、この場所と建物を貧しい巡礼者やホームレスをケアーするための「Pilgramhaus」に提供しました。
その後1513年に現在のアンナ教会の最初がゴシック様式の建築で始まりました。
現在のように、大きなひとつの空間と祭壇部の内陣そして塔がありました。
5年後の1518年7月26日「聖アンナの日」に奉納されました。
オスマントルコ1回目のウィーン包囲1529年から、ここは誰もいなくなってしまい、その後1531年から(1541年?)は、クラリッサ女子修道会が使い、その修道会がなくなってからは、この教会は徐々に荒れ果てて行きます。
1573年からは、すでにウィーンで1551年から活動していたイエズス会がここでミサをあげていました。
1582年から、イエズス会が1773年に閉鎖されるまでの約190年間、ここはイエズス会の所有となっていました。
さて、そのイエズス会時代の1632~1633年、ゴシック様式のアンナ教会は、初期バロック様式で改築され、内陣も新しくなりました。
その後1716年にイエズス会によって、教会内部が現在見られる盛期バロック様式に改装されました。
こちらは教会内部の主祭壇です。
この主祭壇はChristoph Tausch
によって1716年に置かれたもので、高さ、幅、
全てがこの教会内部と一体化しています。
祭壇画は有名なウィーン生まれの画家
ダニエル・グランによって、1751年に描かれたものです。
1747年に落雷による火災があり、それまでの祭壇画と塔が壊されました。
そのため祭壇画は少し後のものです。
祭壇画のテーマは、「イエスの親族」です。
1747年の火災によって、主祭壇と塔が壊れますが、盛期バロック様式の教会内部は助かりました。
しかし、煙の被害が多くあり、1751年、やはりダニエル・グランによって天井フレスコ画も新たに描かれました。
この写真の奥のフレスコ画は、聖アンナの栄誉を表しています。
聖アンナは、聖母マリアのお母さんです。
このアンナ教会は、外から見ると入口も狭く、特に正面だけ見て歩いていると、この教会自体にも気づかないぐらい目立ちませんし、またあまり教会らしくも見えません。
しかし1歩教会の中に入ると、別世界であり、とても神聖で、ケルントナー通り界隈とは思えない静けさです。
素晴らしいバロック様式の内部や美しい天井フレスコ画は見る価値があります。