ウィーンのシンボル「シュテファン大聖堂」はウィーンの街の真ん中に堂々と歴史を見つめながら立っています。
ウィーンに来て自由時間がある方は必ずや、このシュテファン大聖堂の前を数回は通るでしょう。
この大聖堂は、もともとハプスブルグ家の前の時代、バーベンベルク王朝時代に、ウィーンに宮廷を移してきたハインリヒ2世によって一番最初に作られたのが、1147年となっています。
その後、ハプスブルグ家の時代からゆっくりゴシック化されていき、この現在の姿に至っています。
この大聖堂の入口は西側が正面入り口で、「Riesentor」(通称巨人の門)から入ります。この門はロマネスク様式で、何重にもわたるアーチ構造に、彫刻が一体化してるという
とても貴重で重要な部分です。
ウィーンを象徴するものはたくさんありますが、この「大観覧車」もそのひとつです。何と言っても往年の映画「第三の男」に登場し、映画に素晴らしい効果を与えていました。
この大観覧車は、映画よりも古く、1897年イギリスの技師 Walter Basset によって作られました。最高点が約65m、ゴンドラの数は15台、一周約15分、材質は鉄、木、ガラスです。
このゴンドラは一台20~25人まで乗ることができるとても大きなゴンドラです。
私は今まで、計24人で一台のゴンドラに乗ったことがあります。
でも現在では安全性のことも考えられ、一台12~15人までとなっています。
映画「第三の男」は、1949年にウィーンで撮影され、キャロル・リード監督、
オーソン・ウェルズとジョゼフ・コットンが主役として登場します。
オーソン・ウェルズが映画ではハリー・ライムという悪役で登場し、彼はペニシリンを水増しさせ、闇で儲けていて指名手配中になっていました。
そこへ長年の親友である、ジョゼフ・コットン(映画ではホリー・マーチンス)が
親友に会うためにウィーンへやって来て、ハリーに会う・・・という話です。
ウィーンに来てみると、親友のハリー・ライムが亡くなっていると聞かされショックに陥るマーチンス・・・でも話を聞いていくうちにおかしい・・・誰か別の人間がいるな・・・
そこで映画のタイトルは「第三の男」です。
最初はハリー・ライムが中々姿を見せないんですね。
でもハリーはこっそりマーチンスを尾行します。
ハリーが生きてることがわかり、この2人がウィーンで再会するのが、この大観覧車の前だったんです。
そこで2人がこの大観覧車に乗り込んで、ハリーがマーチンスに悪の道に誘います。
この時大観覧車はもちろん回っていて、しかもハリーが、ゴンドラの内側から扉を開けて、ここから飛び降りるか・・・何てシーンも登場します。
もちろん現在の大観覧車はゴンドラ内側から扉を開けることはできません。
この映画では、ウィーンの街が万華鏡のように登場し、今見ても十分楽しめる白黒映画です。クライマックスはウィーンの街の地下下水道の迷路が効果的に登場し、本当のラストシーンは中央墓地の並木道です。
当時のオーストリアは第2次世界大戦が終わって、連合国の占領時代でした。
そのため映画の中には、瓦礫の山、また冒頭に一台のジープに4ヵ国の兵士が乗っているというシーンも見られ、この映画にまた別の効果を与えています。
8月28日付で書いた、ウィーンの植物園 (Botanischer Garten) の中には竹が植えられている場所があります。
この植物園はベルヴェデーレ宮殿の真横に位置し、街の中心に比較的近いのに、まるでウィーンの森にいるような雰囲気です。
ウィーンの街中には冬でもやっているアイスサロンがありますので、年間を通してアイスを食べることができます。
しかし、アイスはやはり春、夏、秋ぐらいで、実際冬には営業しないアイスサロンも多いです。
そのアイスに代わるものとして、この時期から街中や、地下鉄駅界隈などによく見られる焼き栗スタンドです。
ウィーンの街は有名なカフェやおいしいケーキ屋さんがたくさんありますが、
地元で支えられているカフェ、ケーキのチェーン店「aida」・・・アイーダはとても有名です。ハイナー、オーバーラーのケーキは地元でも一番おいしいとも言われ、その次ぐらいにラントマン、ゲルストナーといった有名カフェのケーキもおいしいですが、これらはネームバリューもあり、少しですけどノーブルなイメージがあります。
でもこのaidaは言ってみれば庶民のカフェで、同時にケーキもかなりおいしいです。
上に挙げた有名カフェよりも値段が安く、ケーキの種類も豊富です。
ウィーンの国立オペラ座正面から見て、すぐ右側に、地下に入れる階段とそこから上がってくるエスカレーターとエレベーターが見えます。
これは「Opernpassage」
(オペルンパサージェ)という有名な地下通路で、リンク道路の真下を横断し、オペラ座とは反対方面にある、カールス教会がある公園やその周辺に出られるようになっています。
また地下鉄U1,U2,U4の乗り場にも接続されています。
長く工事を行っていたこのOpernpassageですが、最近ほぼそれも終わり、綺麗になって少しモダンになりました。
このOpernpassageは、1955年にオープンしました。
この年はオーストリアが第2次世界大戦が終わった10年後で、連合軍の占領も終わり、現在のオーストリアの基本となる永世中立国になる年です。
大戦後、リンク道路の交通量もますます増え続け、ウィーン市はこれ以上歩行者を妨げないようにと考え、歩行者用通路を地下に建設することに決めました。
やはり天才作曲家の
モーツァルトは有名ですので、このコーナーでも「モーツァルトのお墓」 などを始め何回か取り上げています。
今回はかなり知られているものですが、実はあまり見ることができない「魔笛小屋」です。
「魔笛」はモーツァルトが亡くなる年の1791年3月 エマヌエル・シッカネーダーから
ドイツ語劇の依頼がありました。
シッカネーダーは1751年生まれ・・・モーツァルトより5つ年上です。
彼はレーゲンスブルクで学び、22歳頃、モーザーの劇団に入団し、その5年後には座長になり、一座を率いて様々な所を回ります。
その時1780年、ザルツブルクでも公演し、モーツァルト一家との関係が生まれ、モーツァルトとは旧知の仲になるわけです。
モーツァルトがウィーンで活躍する頃から、シッカネーダーもウィーンに出て来ることとなり、色々な劇場と契約して活動します。
1789年、現在のウィーン中心から近い所にある「Freihaustheater (フライハウステアター)、または
Theater auf der Wieden (テアター・アウフ・デア・ヴィーデン)」の監督となり、ドイツ語による台本を多く作成し、大衆的な劇を演じるようになっていました。
そんな状況からモーツァルトに「魔笛」の依頼が来たわけです。
晩年のモーツァルトは妻コンスタンツェがバーデンに療養に行き、かなり孤独でした。
そこでシッカネーダーがこのTheater auf der Wieden のそばの小屋にモーツァルトを住まわせ、作曲活動をさせることになるわけです。
その小屋が「魔笛小屋」であり、この小屋はウィーンから1897年にザルツブルクに移されることになります。
現在この「魔笛小屋」はザルツブルクの国際モーツァルト財団が所有し、音楽大学「モーツァルテウム」の大ホールが使用されるイベントの夏季のみ一般が見ることができます。
この小屋はモーツァルテウムの庭園「バスチオン」に置かれ、このコンサートホールを通ってしか行くことができないという,とても限られた場所に置かれています。
この魔笛小屋の屋根には苔がついているのがわかります。
映画「アマデウス」の中でも、酒にかなり酔って鍵盤の前に座って魔笛の中の曲を演奏しているモーツァルトのシーンが出て来ます。そのシーンの最後には、この魔笛小屋と似たような小屋がちゃんと映し出されています。
昨日9月22日(日)は、もう毎年恒例の「Rasen am Ring」
(ラーゼン・アム・リンク)
の日でした。
これは、2007年から行われている行事で、ウィーンリンク道路上に
芝生を置いて、車を排除し、
ピクニック感覚で歩行者天国を楽しもう・・・というものです。
リンク道路の国立オペラ座~ウィーン大学まで車を通行止めにし、王宮庭園、美術史博物館があるマリア・テレジア広場の限られた区間に芝生が置かれました。
車は完全に通行止めですが、路面電車はそのまま走っていました。
芝生の外側には特定の部分に柵が設けられ、ウィーン市交通局係りや警官が何人も出動し、安全の警備をしていました。
このコーナーですでに何回か美術史博物館が話題に出て来ていますが、やっぱりここは何回来ても素晴らしい所です。
規模的にはそこまで大きくはありませんが、絵画の質が本当に高く、名画ばかりが並んでいます。
ウィーンに来てこの美術館を訪れる方はとても多いでしょう。
館内に入った瞬間そこは別世界です。
展示されている絵画の内容に相応しい内装になっています。
こちらはウィーンを訪れれば、おそらく必ず見るであろうモーツァルト像です。
リンク道路に面した、王宮庭園に立っています。
ザルツブルクで生まれたモーツァルトですがそこにあるモーツァルト記念像よりもこちらウィーンの方が
有名です。
この像はヴィクトール・ティルグナーという有名な彫刻家によるもので、
19世紀終わりに作られました。
もともとこの像はオペラ座裏のアルベルティーナ広場に立てられていたのですが戦争で被害を受け、その後修復されて現在のように王宮庭園に新たに立てられました。
カフェでちょっとくつろいでいるとトイレに行くこともよくありますね。
そこで何気なく席を立ち、トイレに入ると、いきなり目の前にこの写真のような光景が目に入ります。
ここは男性用のトイレですが、入ると正面に真っ先にこの個室が目立ち、見回すと右側に小用のコーナーがあることがわかります。
小であればもちろんこの右側で用を足すわけですが、大きい方だったらこの空間を使うわけですね。
でも入口のガラスが透明で、便器が丸見え!
まさか用を足している最中にトイレに入って来た人に丸見えなの?・・・
そんな気持ちに一瞬でもなってしまうような非常識的な、とても個性的なトイレです。
ここ2週間ぐらい前の新聞記事で、オーストリアの今年2013年度上半期の家賃相場が
掲載されていました。
前年度から比べると例外はありますが、あまり変動はしていないようです。
以下の表を御覧下さい。
この表はWohnung(いわゆるアパート、マンションスタイル)が対象で、
Haus (家) ではありません。
※Immobilien.NET より
このコーナーで9月5日に書いた、「デュルンシュタインの廃墟のお城」 のように、ドナウ河の最も美しい
と言われる世界遺産にも登録されているヴァッハウ渓谷にはいくつかの廃墟のお城があります。
その中で、「Spitz」(シュピッツ)というヴァッハウ渓谷のほぼ中央に位置する街はバケツ千杯の山といわれるぶどう畑の山があります。
通常メルクから船で下るとこのシュピッツの街に最初にとまります。
このシュピッツにとまる前に左の丘の上に見えるのが
このヒンターハウスの廃墟のお城です。
ヴァッハウ渓谷のハイライトが何と言ってもディルンシュタインということもあり、この街で乗船、下船する日本の皆さんはほとんどいません。
でもヨーロッパの他の国々の方は結構この街で楽しんでいるようです。
ウィーンの旧市街地は至る所に歴史的に重要な物が見られます。
旧市街地は散歩をすると色々な発見があるわけですが、この何の変哲もない煉瓦の名残は、12世紀初頭まで遡ることができます。
ウィーンの建物の中には美しく、閑静な中庭がたくさん存在します。
この壁は、Heiligenkreuzerhof (ハイリゲンクロイツァーホーフ)という、
ウィーン旧市街の一角にある、かなり大きな建物の中庭です。
この建物はHeiligenkreuz(ハイリゲンクロイツ)という、ウィーンの森の南に位置する、とても重要なシトー派の修道院が13世紀初頭から所有しています。
この時代は、ハプスブルグ家が登場する前の時代で、この国にとってはとても重要な
バーベンベルク王朝時代のものです。
バーベンベルク王朝は976年~1246年までのちょうど270年間続いた王朝で、
その時代ウィーンにも彼らの宮廷が置かれ、シュテファン大聖堂の最初も建築され、
オーストリアのかなりの部分を押さえていました。
ここの中庭は大きいので、そのまま通り過ぎてしまいますが、そんなある個所にもこのような歴史的重要な名残を見ることができます。
今日御紹介した、知らなければ全く気付かない・・・でもとても重要な意味を
持っているものは街中至る所に見られます。
決してその対象物自体は何かすごいもの・・・ということはないと思いますが、
その背景にある歴史的エピソードはとても興味深いものです。
今日御紹介させて頂くのは「Blockheide」(ブロックハイデ)です。
ここは興味深いことに自然に形成された巨大な石が
いくつも横たわっているという、地元でも有名な自然公園です。
ウィーンにはたくさんの重要な教会があります。
建築様式も違えば、カトリックでもいわゆる宗派が色々あったり、また様々な聖人に捧げられていたりと・・・
キリスト教は本当に奥が深いです。
このイエズス教会はやはり重要な教会のひとつです。
ウィーンの旧市街地の中でも少しひっそりし、歴史的にも重要な場所に建てられています。
イエズス会は1539年に設立され、反宗教改革の担い手でもありました。
ウィーンには1550年、後の皇帝フェルディナント1世が、
イエズス会の創始者であるイグナチオス・ロヨラに
ウィーン大学での神学授業のためのとイエズス会創設のためにコンタクトを取りました。
その1年後の1551年にはウィーンに最初のイエズス会がやって来ました。
1623年には、ウィーン大学で神学や哲学等を受け持ち、彼らの施設や教会が作られ、1631年にこの教会が完成しています。
教会正面のスタイルはルネッサンス的要素も少し残っている初期バロック様式です。
1702年、皇帝レオポルド1世がアンドレア・ポッツォをウィーンに呼びます。
彼はこの教会の建築家、彫刻家、画家として働き、1703~1705年にかけて現在見える姿に改築させました。
その後イエズス会は1773年に解散に追い込まれますが、その後紆余曲折を経て現在でもイエズス会がここで活動しています。
こちらは、
ドイツ語でKanadische Goldrute
(カナーディッシェ ゴルトルーテ)、よく総称してGoldrute,
ラテン語ではSolidago canadensis,
日本ではセイタカアワダチソウと呼ばれているものです。
ラテン語のSolidagoは
アキノキリンソウ属で100種類ぐらいあるそうです。
原産は北アメリカで、キク科です。
日本名のセイタカアワダチソウは、背が高く、花が泡立っているように見えることから来ているそうです。
ヨーロッパには1648年以前にパリに入って来たそうですが、記録としては1644年以来から確認できます。
日本には明治末期に園芸目的で持ち込まれたとされています。
高さは50cm~250cmぐらいになり、河原や空き地などに群生することが多いです。
オーストリアは9つの州があり、それぞれに郷土料理があるわけですが、
ウィーン3大名物料理といえば、Wiener Schnitzel (ヴィーナーシュニッツェル)、Zwiebel Rostbraten (ツヴィーベルローストブラーテン)、そしてここで紹介するTafelspitz(ターフェルシュピッツ)でしょうか。
Tafelspitzは時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が好んで食べた料理で、
牛肉の煮込み料理です。
Tafelspitz(牛のおしりと太ももの一番上との間のあたりの肉)をかたまりで何時間も煮込んで、そのやわらかくなった肉をスライスして、リンゴに西洋わさびが入ったソースとSchnittlauchソース(白のクリーム状のソースにチャイブがまざったもの)を肉にかけて食べます。
その定番2つのソース以外にほうれん草のペースト状ソースもとても好まれています。
ジャガイモを炒めたものと野菜が添えられるのが一般的です。
こちらはドイツ語でWunderbaum
(ヴンダーバウム),もしくはRicinus(リチヌス)、ラテン語ではRicinus communis,
日本語ではトウゴマです。
原産は北東アフリカとされ、
世界中に分布しています。
日本でも古い時代に中国から入って来たとされています。
平均的に2~3mでしょうか。
とても速く成長し、3~4ヶ月で5mぐらいになるものもあるそうで、熱帯気候では
数年で13mぐらいになるものもあるそうで、葉は30~70cmぐらいです。
前回8月25日に、「ウィーンのちょっと珍しいアングル」というタイトルで3枚ほど写真を紹介しました。
意外なことに結構評判がよかったので、このシリーズも時間がある時に不定期で続けて行こうと思います。
自分自身オーストリアの国家ガイドとして、またもちろんプライベートでも
様々な場所に行きますが、
ウィーンは常に新しい発見がある、本当に奥が深い街です。
今回もシェーンブルン宮殿に個人で入場しよう・・・という方のためのInfoです。
2013年8月14日にシェーンブルン宮殿に入場する時・・・でも書いていますが、入場券にはいくつかの種類があります。
今日はそれを具体的に紹介します。
2013年8月19日付のブログで美術史博物館について少し書きました。
これだけの内容を誇る美術館は世界でもそう多くありません。
このウィーンの美術史博物館の絵が全て「名画」と言われるレベルの絵の中で、
私が特に好きなのはヴェネツィア派の名画群です。
画家で言えば、ジョバンニ・ベリーニ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ティントレット、ヴェロネーゼなど、ヴェネツィアで活躍した画家達です。
時代ではルネッサンス~後期ルネッサンスにあたり、色彩の美しさや自然風景の調和などが特徴です。
地下鉄1号線(U1)駅のSchwedenplatzホームに見られるインフォスクリーンです。
忙しい時などは目に入りますが、じっくりとはあまり見ないかもしれません。
でもこれは意外と親切な情報を提供してくれます。
画面の左より・・・
路線番号
行き先
あと何分後に次の電車が来るか?
その次の電車は何分後か?
ローフロアー車両は何分後に来るか?
何番線からか?
・・・・・・・といった内容です。
写真はSchwedenplatzの地下鉄1号線の駅構内のエスカレーターを降りた
すぐ上に取り付けられているスクリーンです。
もちろんその乗り場まで行けば、あと何分後に電車が来るか、ということはわかります。
観光客の皆さんで乗り場がハッキリしない・・・なんていう時には役立ちそうですね。
ウィーンに来られるたいていの皆さんが世界遺産であるシェーンブルン宮殿に行かれる
ことと思います。
宮殿見学や博物館見学は思ってるほど歩くもので疲れますね。
そんな時にカフェに座ってちょっとゆっくりしたいです。
オーストリア世界遺産の
ひとつであるシェーンブルン宮殿は、オーストリアで最も観光客の数が多い
スポットです。
初めてウィーンに来た人で、ここを訪れない人はまずいないでしょう。
通常、入場チケットが販売されている場所に一番近い、シェーンブルン宮殿の正門(Haupttor)から宮殿に入るパターンが圧倒的に多いと思います。
この正門を入るとすぐ左手の所に、ミニチュアのシェーンブルン宮殿が今年から置かれています。
この写真はバックのマリア・テレジアイエローが本物のシェーンブルン宮殿ですが、手前の銅色がミニチュアシェーンブルン宮殿です。
ミニチュアシェーンブルン宮殿は本物同様、前庭も作られています。
このミニチュアシェーンブルン宮殿は、今年2013年、ウィーンのガイド協会から宮殿に贈られたものです。
シェーンブルン宮殿に訪れの際には、是非シャレで御覧になって下さい!
世界遺産のひとつである
ヴァッハウ渓谷はドナウ河の一番美しい所として知られています。
このヴァッハウ渓谷のハイライトが
メルクから船で下り、デュルンシュタインで船が180度ターンして船着き場に停まる時に絶好の写真ポイントがあります。
この聖堂参事会修道会の教会とその背後に見える廃墟のクエンリンガー城がとても綺麗に納まります。
この廃墟のお城はイギリスのリチャード獅子親王がオーストリア、バーベンベルクのレオポルド5世に捕らえられ、1192~1193年に幽閉されていたお城です。
街中の大きなゴミ置き場では分別ゴミが一般的です。
地下鉄駅構内にもこの写真で見られる分別タイプが多く見られるようになりました。
視覚的にもシンプルで、
色分けされていて分かり易くなっています。
黄色・・・プラスチックボトル
青・・・缶
赤・・・紙
紫・・・それ以外の物
このゴミ箱はKarlsplatz駅のコンコースです。
ウィーンの地下鉄や路面電車の車内は日本と比べると、時間によっては結構新聞や食べ物を包んだ紙、缶などが落ちていることが多いです。
ウィーン市交通局は専用の清掃人を導入して日夜ゴミなどが車内にちらばらないように心掛けています。
やはり個人の責任において、しっかりとゴミはゴミ箱に入れたいものですね。
9月に入り少しずつ秋の気配を感じます。
日もかなり短くなっていますし、朝、夕の気温の差が大きくなっています。
以前「ウィーンによく見られるこの時期の花」シリーズで紹介した花はまだこの時期でも咲いてるものもあります。
しかし基本的にかなり限られた花
だけが咲いています。
こちらはドイツ語でWunderblumen(ヴンダーブルーメン)、
ラテン語ではMirabilis jalapa、日本ではオシロイバナ(ユウゲショウ)です。
原産は中南アメリカでおそらくメキシコだと言われています。
こちらヨーロッパには1525年に入って来たようです。
日本には江戸時代に入って来たそうです。
高さ60~120cmが一般的ですが、まれに2mぐらいになるものもあるそうです。
花の色は、ピンク、赤、白、黄があります。
こちらでは観賞用として庭によく植えられていますし、道端などにもこの時期よく咲いています。ピンクというよりも紫に近いピンク色でしょうか。
かなり鮮やかな色で、多くの花が咲きますのでよく目立ちます。
別名ユウゲショウと言われるのは、このオシロイバナは夕方に花が咲き、
夜通し花が咲いていて、朝になると(明るくなると)花を閉じることからきています。
Schwedenplatz近くのドナウ運河沿いから見られるルペルト教会は少し小高い所にあり、蔦がロマネスク様式の塔にからまる姿は印象的です。
たいていのガイドブックにはこの教会が「ウィーンで一番古い」と書いてあります。これは厳密には正しくありません。
ウィーンで現存している教会では一番古いという言い方が正しいわけです。
ウィーンで一番古い教会はグラーベンのすぐ近くにある4世紀後半に作られたとされているペータース教会です。
このルペルト教会は伝説によれば8世紀の740年頃、記録で確認できるのはバーベンベルクHeinrich2世がショッテン修道会を提供する時の古文書に1200年と記されています。
Rupertはもともとラインフランク貴族の出身と言われています。彼はウォルムスで宗教的に高い地位についていたとされ、Theodo公爵がキリスト教の布教とそれを支える目的でRupertを呼びました。
このブログコーナーで2013年1月30日付で書いた内容ですが、
チロルはスイスだ・・・と思われている方が非常に多いんですね。
そんなことは全く考えなかったのですが、毎日色々な皆様を案内している中で
結構多くの方がチロルはスイスにある・・・と思われていた方が多いのには驚きました。
最も「アルプス」(ドイツ語ではAlpen)という名称で国を無視して考えれば
感覚的に理解できそうな気がしますが・・・。