ウィーンの街は歩けば歩くほど歴史が見えてくるとても奥深い街です。
ローマ時代の駐屯地、中世のバーベンベルク王朝時代、ヨーロッパで一番長く続いた
ハプスブルグ王朝時代、またその時代の神聖ローマ帝国の皇帝の居城・・・そして現在のオーストリア共和国に至るまでの様々な時代を見ることができ、感じ取ることができます。
ウィーンの中心部はローマ時代を始め、中世の頃に拡大されて19世紀後半に取り壊されることになる城壁に囲まれていたわけですが、そんな城壁の名残りを見ると歴史を感じます。
前回貴重な城壁1、貴重な城壁2 と城壁の名残りをすでに紹介しましたが、
今回はその第3弾です。
こちらはあまり知られていない、なおかつ通常見ることができないローマ時代の城壁の名残りです。
つまり貴重な城壁シリーズですでに紹介したものよりもっと古いということになります。
ウィーン中心部のローマ時代からの一番古い部分は、現在のリンク道路の水準よりも遥かに狭く、グラーベンから北側で、今でこそ街の中心に建っているシュテファン大聖堂は、
ローマ時代からの水準から見れば外側になるわけです。
ローマ時代のウィーン旧市街地を参照して下さい。
ローマ帝国時代が終わった後、ここはかなり荒れてしまっていたようですが、
中世のバーベンベルク王朝時代1155年ウィーンに宮廷を移すことになるハインリヒ2世は、そのローマ時代の城壁の名残りをそのまま使い、その後レオポルド5世の時代12世紀の終わり1194年頃から現在の旧市街地の基本の大きさに城壁が拡大されていきます。
この場所は有名な岸辺のマリア教会(マリア・アム・ゲシュターデ)のすぐそばにある
Am Gestade の5番地の中庭です。
一般の人がすぐに入ることができないのが残念です。