教会シリーズとして今日はダ・ヴィンチの最後の晩餐のモザイクがあるミノリーテン教会のついて少し書いてみたいと思います。
ミノリーテンはフランシスコ会から枝分かれした修道会です。
フランシスコ会は1209年にアッシジで設立された修道会で、ウィーンにはバーベンベルク時代のレオポルド6世によって1224年に呼ばれます。
その後まもなく王宮に近いこの場所に教会と修道院を作ります。
1275年に街の火災があり、その後プジェミスル家のオットカル2世が現在の基本となるこの教会の基礎となる石を置いています。
当時のオーストリアでの最初のゴシック建築の教会のひとつです。
当初1209年に設立されたフランシスコ会は小さき兄弟会(ミノリーテン)と言われます。
14世紀に入って会則が変わったり、緩和されたりしたことから1430年頃から枝分かれが生じ、最終的に1517年枝分かれし、ミノリーテンの改革派としてフランシスコ会が生まれます。
その後1528年にはさらに枝分かれしたカプチン会も成立しています。
現在のミノリーテンはフランシスコ会、カプチン会よりも規模が小さくなっています。
ちなみにこの最初のミノリーテンから1212年にClarissen(クラリッサ女性修道会)が設立されています。
こちらは教会内部です。
14世紀前半までに完成していますが、主祭壇は18世紀後半ホーエンベルクによって当時のゴシック様式で置かれています。
祭壇画の中央にはIgnazioUnterberger(1742-1797)によるローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂で崇拝されているマリア慈悲画のコピーが見られます。
現在の形としてはもう少し後の14世紀半ば頃に完成しています。
托鉢修道会の典型的な広い内部空間を見ることができます。
1529年にはオスマントルコの1回目ウィーン包囲があり、比較的城壁に近く建てられていたこの教会の塔はかなり目立つトルコ軍からの標的でした。
その時に塔の先が壊されました。
その後塔は再建されましたが、1683年2回目のトルコ軍のウィーン包囲でも壊されました。
そのためこの教会の塔は先が欠けたようなおもしろい形になっているわけです。
1782年にヨーゼフ2世の改革よりミノリーテン修道会がここを去った後、1784年6月3日から現在までイタリアKongrekationの所有となっていて、「Maria Schnee」(雪のマリア)に捧げられています。
この「雪のマリア」は432年8月5日ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が奉納されるきっかけとなった、358年の朝の「雪の奇跡」伝説から来ています。
この教会内部には詩人・オペラ台本作家のピエトロ・メタスタージオの墓石があります。
(本人はここには眠っていません)
この教会の周りの雰囲気も静かで中々素敵です。