ウィーンは音楽の都ですから、これだけの作曲家が集まった街は他にないでしょう。
作曲家の住居、記念像などが至る所にあります。
以前もここでは音楽家に関することはよく話題にしています。
ベートーヴェンに関してはすでに「中央墓地」、「最後の住居」、「第9交響曲の家」などについて書きました。
今日は2つのベート―ヴェン記念像について書きたいと思います。
こちらはウィーン中心に近いBeethovenplatz
(ベートーヴェン広場)にある
有名な記念像です。
ウィーンに音楽に興味を持って
来られる方はたいてい見る記念像でしょうか。
この広場は、19世紀後半リンク道路が建設され、その両側には様々な建物が建てられていきます。
もともと城壁があった頃は、その城壁の外側はGracisと呼ばれた、敵からの見通しを良くするため何も建ててはいけない地域だったわけです。
リンク道路時代にその当時のGracisにリンク道路自体を始め、色々な建物が建てられる中、このベートーヴェン広場には何も建てられませんでした。
そこで文字通り広場となります。
この記念像はCaspar von Zumbush (カスパー・フォン・ツムブッシュ)というマリア・テレジア像やラデツキー将軍像なども手掛けた有名な彫刻家によるもので、1880年に序幕されています。
こちらはよく知られている散歩をしているベートーヴェンの記念像です。
このベートーヴェン像がある場所は、中心からかなり離れたハイリゲンシュタット公園にあります。
ここは、1781年にローマ時代からの鉱泉が発見され1875年まで使われていた、Heiligenstädter Bad (ハイリゲンシュテッター・バート)と呼ばれた療養所でした。
ベートーヴェンは、難聴の治療として当時の医師の勧めに従ってこの場所で療養をすることになります。
ここから歩いてすぐの所に、「ハイリゲンシュタットの遺書の家」というベートーヴェンが32歳に遺書を書いた有名な住居があります。
ここをウィーン市が1900年に現在に見られる公園にしました。
この記念像は、1910年 Robert Weigl (ロベルト・ヴァイグル)というオーストリアの彫刻家によって手がけらたものです。
手を後ろに組んで、ゆっくり歩くベートーヴェンが表されています。
彼の左ポケットに五線紙が入れてあります。
ベートーヴェンは自然を好み、散歩が日課のひとつでも
ありました。
自然の中に自分を置き、耳の回復を願い、同時に様々な曲の霊感を受けました。
この地域はベートーヴェンが特に好んだ地域で、彼が滞在した場所が多く残されています。
ベートーヴェンはドイツ人ですが、ウィーンにはモーツァルト以上に足跡を残しました。