ウィーンの有名な国立オペラ座は
リンク道路最初の大建造物として
プランされ、シッカルズブルクと
ニュルという二人の建築家によって
ルネッサンス様式で1868年の明治維新の時に完成し、次の年の1969年 モーツァルトのドン・ジョバンニでこけら落としが行われました。
リンク道路はウィーンの有名な環状道路で19世紀後半、様々な意見が交わされて、昔の城壁(実際には居城としての街の城壁)がフランツ・ヨーゼフ1世の時代に取り壊され、その外側に環状道路の建設をし、その周りには様々な様式で色々な建造物が
建てられているウィーン名所のひとつと言える環状道路です。
当時誰もがリンク道路最初の大建造物として期待したこのオペラ座は、徐々に評判が悪くなっていきました。それはリンクに面した正面入り口の1階と2階のアーチの高さが違う・・・ドイツ語で「Versunkene Kiste・・・沈んだ箱」なんていう言葉で批判されました。
確かに正面アーチを
よく観察すると、1階アーチがかなり短く見えます。
これが批判の原因でした。
この写真はちょっと普通では撮れない角度で、オペラ座正面のオフィスビル上方階から撮影したものです。リンク道路上で見るよりも、上から正面を少し見下ろすともっとハッキリわかります。
この批判から結果的に2人の建築家はこの世を去ることになります。
でもこの2人の建築家はオペラ座の立地条件をよく理解していました。
ウィーンのオペラ座には、よく他のオペラハウスのようにいわゆるオペラ座広場というものがありません。
つまり土地が限られていたのです。
そこでこの限られた土地の中で、この国立オペラ座の建物を最も効果的に印象付けるために、オペラ座を正面からではなく、最初の写真のように、斜め前から後方を見た時に、
初めてこの建物が荘厳に見えるようにちゃんと計算されて作られていたのです。
1枚目と2枚目の写真を比較すると、荘厳さでは全く違って見えますね。
ちなみに国立オペラ座は、9月~翌年6月まで(7,8月を除く)年間約300回の公演数で
例外を除いて2日として同じ演目が続かない・・・
セットを毎日変えてるという世界でも類を見ないオペラハウスです。