アイゼンシュタットは、ウィーン南東に位置するブルゲンラント州の州都で、ウィーンから60kmほど離れ、人口13.000の小さな街です。
ブルゲンラントはオーストリア9つの州の中ではちょっと特殊な州で、1921年にオーストリアに組み込まれました。
それまではハンガリーに属していた地域です。そのためなにげなくハンガリー的な色が随所に見られます。
ハルシュタット鉄器時代からの跡が確認されています。
キリストが生まれる前はケルト王国ノリクムに属し、その後ローマ人によってパンノニアというローマ帝国の州に入りました。
様々なゲルマン民族やフン族がこの地に住みました。
この街は14世紀後半にハンガリーの貴族Kanizsaiが所有し、その後15世紀後半に
ハプスブルグ家のアルブレヒトVI世が
所有してからは150年以上オーストリアの管轄になります。17世紀前半にハンガリーの
大貴族エスターハーズィ家が
ハプスブルグ家からこの地を借りたことから始まって、エスターハーズィ家が支配することになります。
街のシンボルは何と言ってもこのエスターハーズィ城です。
ウィーンのシェーンブルン宮殿の色合いに似ていますね。
17世紀後半パウル1世によりバロック化され、その後19世紀にニコラウス2世によってさらに新古典主義に改築されました。
ここのハイドンホールはとても有名です。
大音楽家ハイドンはエスターハーズィ家に約40年仕え、楽団長として多忙な日々を過ごしました。
このハイドンザールはこの宮殿がバロック化された17世紀後半、つまりハイドンがエスターハーズィ家に仕える前に作られていましたが、
ハイドンがここで活躍したことからハイドンザールと名付けられています。
そのハイドンが34歳から12年間住んだ家がハイドンハウスとして一般公開されています。
ハイドンの楽譜、当時の部屋の模型や街の歴史的資料、ベートーヴェンを始め様々な音楽家やエスターハーズィ家の方々も登場します。
ハイドンはエスターハーズィ家君主、パウロ2世、ニコラウス1世、アントン、ニコラウス2世の4人に仕えました。
旧市街から徒歩で10分程行った所に、ベルク教会があります。
この教会もアイゼンシュタットの
見所のひとつで、エスターハーズィ家によって作られました。この教会は2つの部分から成り立っています。
カルヴァリエンベルクとハイドンの霊廟があり、天井フレスコ画が
美しいバロック様式の教会との2つがくっついています。